【7.2】「末期における補液の意味」
  【7.2】:1
 末期における輸液は慎重に検討する必要がある。まず、輸液を単なる時間的延命のための手段としてはならない。末期癌患者にとって輸液を行うこと自体が、非常に苦痛であったり、癌患者の苦痛を無意味に長引かせたりする事になるからである。
 輸液を行う際には、その目的と意味を明確にする必要がある。末期における輸液の目的は、症状のコントロールである。つまり輸液によって患者が楽になることを目標とし、輸液することで、かえって苦痛を与えることにならないようにする。
,ターミナルケアマニュアル第2版(1992),,,163
,ターミナルケアマニュアル第3版(1997),,,188
,緩和ケアマニュアル(ターミナルケアマニュアル第4版)(2001),,,227

#1
【7.2】:2
 終末期の輸液はいかなる意義があるのか、いまだに一定の見解が得られていない。著者らは輸液療法と血漿浸透圧、口渇、口内乾燥感などの関連を検討するために、死亡前4日以内まで血清クレアチニンが2.0mg/dL未満で、輸液療法を施行していた18名について、死亡前16〜12日(2週値)と死亡前4〜0日(臨死値)の血漿浸透圧(mmOsm/kg=2Na+ブドウ糖/18十BUN/2.8)を測定した。全例輸液療法(680〜1550mL/日)を継続していたにもかかわらず、2週値は268〜365 (296.06±22.07)、臨死値は271〜402(320.11±33.42)で有意に臨死値が高値であり(p<0.001)、終末期においては、輸液療法は脱水改善(少なくとも浸透圧補正)には無効であると思われた。また、死亡14日以前から口渇・口内乾燥感を訴えていた11名についても輸液による症状改善は認められず、3名において肺水腫が、2名に全身浮腫が出現した。
,ターミナルケア(2001),11,2,95

*5
【7.2】:3
 死を目前とした静脈内輸液の欠点として以下のものが上げられている。尿量増加による失禁、尿器、尿道カテーテルの必要。気道分泌増加による咳嗽、肺鬱血、窒息および溺水感。消化管分泌増加による嘔吐。浮腫、腹水、胸水の増加。水分補給による尿素窒素の低下は意識レベルを上げ疼痛を増加させる。生命を延長させることなく苦痛の期間が長引く。患者の死に対する家族の心理的準備を妨げる。患者と家族との身体的接触を妨げ、障壁を生む。
,緩和ケアハンドブック(1999),,,41

#1
【7.2】:4
 ターミナルの輸液の必要性については、さまざまな考えがある。しかしながら本当の終末期では、エネルギー、輸液量ともに少ない方が、苦痛は少ないといわれている。しかし、長らく続けてきた患者さんにとって、輸液は生きる望みであり、それを止めることはとてもつらいことである。また、それまで栄養のことを聞かれても、「輸液に十分含まれているから大丈夫」と説明している場合はなおさらである。輸液を減らす、止めるということは、栄養を取れないことであり、ますます不安を増長する。その患者さんにとっては何事もはじめての経験であり、いくら言葉で伝えても、仮に頭では理解できてもいざ中止しようとすると、その決心はなかなかつかないものである。
 この場合にも、不必要な輸液は、癌だけに栄養を与えることや、患者さんの苦痛を増すことを伝えるしかない。また、患者さんのなかには高カロリー輸液の大型のソフトバックから、維持液や5%ブドウ糖液の小さな容器に変わることを極端にいやがる人がいる。その場合はチームで患者さんと相談して、薬局の無菌調剤室でハイカリバッグに維持液などを充填し直すこともあった。その患者さんにとっては、輸液の中身より、目の前に大型のソフトバックがぶら下がっていることの方が重要であったと思えた。
,ターミナルケア(2002),12,1,24

#1
【7.2】:5
 点滴に対する患者・家族の意識。
 患者さんがだんだん衰弱していき動けなくなったときに、まず家族に芽生えるのは「もっと何かできるのではないか」「何かをしてやりたい」、あるいは「何かをしてほしい」という感情です。その“何か”が点滴になってしまうのです。「もう食べられないし動けないが、点滴をすれば少しは元気になるのではないか」という家族の気持ちを理解することは大切なことです。しかし、点滴をすることだけがすべてではない、ということを家族に気づいてもらうことも重要です。「今あなたのお父さんにとって点滴をすることが本当にいいことかどうか」ということを、医師も家族もお互いに考えることが大切だと思うのです。「点滴をするより、氷を持ってきてあげたり、シャーベットをあげたり、手を握ってあげたり、マッサージをしてあげることのほうが、お父さんにとって大切だと思います」と提案し、家族の了解が得られれば問題は解決します。つまり、家族の「何かをしてあげたい」という気持ちを十分に理解したうえで、点滴ではない別の提案をすることが大切なのです。
 しかし、患者さん自身が点滴を希望する場合は問題が難しくなります。患者さんの気持ちは基本的には家族と同じだと思います。自分が衰弱し動けなくなってきたときに、「何かしてもらえれば、もう一度元気になるのではないか」、あるいは「今のこの状態から抜け出すことがてきるのではないか」と思うわけです。これは自然な感情だと思います。そういった患者さんの気持ちを十分に理解し、われわれはその気持ちを理解しているということを患者さんに伝えることが大事だと思います。そのうえで、「あなたにとって点滴をすることが本当にいいことかどうか」ということについて話し合うしかありません。
 私が経験した例でいえば、以前に点滴をして楽になった経験のある患者さんは、どんなに説明したところで納得されません。そこで、やむなく点滴を実行することになります。しかし、その際に大事なことは、必ず翌日に病室に足を運び、「点滴をして楽になりましたか」と患者さんに聞くことです。そして、患者さんに、点滴をこのまま続けるかどうかを尋ねると、「やめたい」という人もいるし、「続ける」と答える人もいます。「続ける」と答えた人は、医学的な理由からだけではなく、点滴をすることが自分の命をつないでいるという心理的な理由からかもしれません。したがって、その希望を断ち切る権利は私たちにはありません。たとえ喘鳴が増えようが、浮腫がひどくなろうが、腹水が増えようが、われわれは点滴を続行せざるを得ません。しかし、予後が週単位、それも日単位に近くなった患者さんは、点滴をしても決して楽にはなりません。患者さんに特に希望がなかったり、口腔ケアがきちんとされているような場合には、患者さんの予後が日単位の段階で輸液を続ける意味はないと思います。
,ホスピスケアの実際(2000),,,166

#1
【7.2】:6
 輸液について話し合う時間が必要。
 輸液を減量しなければならなくなった時期になって初めて輸液減量の話を持ち出すのは、患者さんにとっても家族にとってもまったく予期していないことで、不安が増すのは当然だと思われます。そこで緩和ケア病棟では、入院された段階で「このような段階で、このような治療を行う」旨を説明するようにしています。そして、その時期が近づいてきて、患者さんが苦痛を訴えたときに、「そろそろ点滴の量を減らしていったほうがいいのではないでしようか」と話をします。そして、患者さんから了解が得られた段階で、点滴の量を減量していくようにしています。
 また、家族に医師がいるような場合ですが、多くの場合、日頃あまり面会にも来られないわけです。それで、緩和ケアがどのように行われているかについてもあまり理解されていないことが多いのです。それでいて、たまに面会に来られたときにクレームが出ることも少なくないわけです。特に身内に医師がいるような場合には、早目にどの段階で説明をしなければならないかを配慮しながらケアにあたる必要があると思います。
,ホスピスケアの実際(2000),,,167

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【7.2】:7
 近年、ホスピス、緩和ケアの臨床的な経験から次のような考え方も主張されるようになってきた。「患者に人工的水分補給を行うべきか否かに間しては、画一的に判断すべきではない。患者に死が差し迫った時期での人工的水分補給は、生存期間や症状緩和に影響を与えない。末期患者の口渇や口内乾燥は薬剤が原因のことがしばしばあり、人工的水分補給はこれらの症状を改善しない。一方、利尿剤や鎮静剤の過剰投与、嘔吐、下痢、高カルシウム血症など治療可能な原因による脱水の場合は、人工的水分補給が適切な緩和ケアの処置となることもある」。
 輸液療法を実施する場合、緩和ケアの観点から多面的に検討してみる必要がある。その場合、次の6つの観点が重要である。
(1)輸液や人工的な栄養補給は、死に行く過程を尊重した行為かどうか。
(2)輸液や人工的な栄養補給は、死を早めることにも、死を遅らせることにも関与しないかどうか。
(3)輸液や人工的な栄養補給は、痛みや症状の緩和に寄与しているかどうか。
(4)輸液や人工的な栄養補給は、患者の精神的・心理的な負担となっていないかどうか。
(5)輸液や人工的な栄養補給は、患者の生きる希望につながるかどうか。
(6)輸液や人工的な栄養補給は、家族を援助することにつながるかどうか。
 そして、疼痛やそれ以外の症状マネジメントと同様に輸液療法の有効性と問題点を常に検討する必要がある。
,わかるできるがんの症状マネジメントU(2001),,,289

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【7.2】:8
 終未期にすべての患者に輸液が必要であるということも、患者は誰も輸液を必要としないということも間違いであろう。患者のなかには終末期であっても、輸液が必要な人もいるし、必要としない人もいるというのが真実であろう。
,わかるできるがんの症状マネジメントU(2001),,,290

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【7.2】:9
 輸液を考える場合、中心静脈投与を第一選択と考えることが多い一方で、皮下投与経路の方が単純で苦痛が少ないことが多い。大腿前部の皮下に静脈用の細いゲージのエラスタ針を挿入し、生食または5%ブドウ糖液を入れる。スプラーゼは不要で、筆者の経験では、左右それぞれの大腿に12時間毎に1リットルまで注入可能である。
,フローチャートで学ぶ緩和ケアの実際(1999),,,33

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【7.2】:10
 死が近い末期患者で経口水分摂取が不可能になった場合、皮下注入による水分補給を行うことがある。意識状態の維持が重要で、症状がよくコントロールされている患者に適応となる。しかし、死を目前とした患者の食物や水分摂取の減少はおそらく死の準備として正常な生理学的機序である。最期の数日間、空腹や口渇は非常にまれで、この時期の輸液は医学的に不必要であり、実際、悪影響を及ぼしうるという証拠が優勢である。
,緩和ケアハンドブック(1999),,,41

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【7.2】:11
 皮下補液とは、水分を皮下に注入することである。静脈内の注入に比べて確かな利点がある。簡単にできる。在宅でも簡単かつ安全にできる。皮下補液の場所は数日間続けて使用可能(最大7日まで)容易に中止することができ、患者の行動が拡大するときは、はずすことが可能。
,エドモントン緩和ケアマニュアル(1999),,,69

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【7.2】:12
 皮下への大量補液の際、補液は生理食塩水がよい。ブドウ糖液は吸収が悪いため使うべきではない。必要なときには1リットルあたり最大40mmolのカリウムを補液中に追加する。1時間あたり200mLまでの速度で投与できる。1時間あたり50mL以上を注入する場合には、スプラーゼを1リットル当たり600単位加える。
,終末期の諸症状からの解放(2000),,,74

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【7.2】:13
 アルブミン投与の是非
 末期になると高カロリー輸液によっても悪液質に対抗できず、貧血や低アルブミン血症が出現するのが常であるが、このような際に血液製剤を使用すべきであるかは悩むところである。厚生省の制定した使用指針では、生命尊厳の観点からまた、アルブミン投与による延命効果は明らかにされていないことから、末期患者へのアルブミン投与は不適切な投与であるとしている。
,Medical Practice臨時増刊(2000),17,,346
   
 

 

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